ムニェキートス・デ・マタンサス / Los Muñequitos de Matanzas

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★リアル・ルンバ
  「ムニェキートス・デ・マタンサス」の魅力
 
作家・村上龍


 もう20年以上前だが、キューバに通いはじめるようになったころ、マタンサスに、「ルンバ」を観に行った。マタンサスは、17世紀末に都市の建設がはじめられたという古い街で、19世紀には砂糖生産の中心として栄えた。当時わたしは「キューバのルンバ」について、何も知らなかった。サビア・クガートの「マイアミビーチ・ルンバ」など、アメリカのラテン音楽には「ルンバ」という名称がついた楽曲があるが、それは「ルンバ」という言葉の響きがエキゾチックだからという理由によるもので、キューバの「ルンバ」とはまったく違ったものだった。
 
 マタンサスの、非常に古いビルの屋上で、ルンバの代表的オルケスタとダンサーたちを待った。日が暮れようとしているころ、「ムニェキートス・デ・マタンサス」のメンバーたちが、白の衣装で現れた。彼方に日が沈んでいき、ビルの屋上にはまったく照明がなかった。空が濃いピンクに染まり、オルケスタもダンサーたちも、微妙な輪郭を持つシルエットとして、何の説明もなく、ふいに、打楽器だけの演奏がはじまり、そのあとで独特の歌声が響きだし、やがてペアのダンサーが、不思議としか言いようのない動きのダンスをはじめた。セクシュアルな動きで、でも、美しかった。


 キューバの「ルンバ」は、社交ダンスのように「生活に彩りを添える」といったダンスではない。黒人奴隷たちが過酷な労働を終えて粗末な住居に戻ってきてから、誇りを取り戻すために、疲労を忘れるために、享楽として踊られるダンスである。ダンスの動きの範囲は狭く、一説によると、足首に巻かれた鉄鎖のために、奴隷たちは小さなスペースでしか踊れなかった名残だと言われている。疲労と哀しみと屈辱を乗り越えるためのダンスだが、決して暗くない。むしろ、生命の躍動を感じる。きれいな夕暮れをバックに、白い衣装で歌い踊る「ムニェキートス・デ・マタンサス」は、幻想的で、わたしは別世界に入り込んだような心地よい錯覚に陥った。


 キューバのルンバには、ペアで踊る「ワワンコ(Guaguanco)」「ヤンブー(Yambu)」があり、それぞれテンポが違う。「ルンバ・コルンビア(Columbia)」だけは、男性のソロで踊られ、男としての心身的、性的な強さが示される。映画『KYOKO』で、高岡早紀さんが踊ったのが、「コルンビア」だ。キューバのルンバは、世界的に類を見ない。民族的なのに土着的ではなく、力強いのに洗練されている。多くの人に、本場の「ルンバ」に接していただきたいと思う。

村上龍


 
 
日本公演のダイジェスト2016年9月22日−25日

 2016年にユネスコの無形文化遺産に登録され世界から注目されている「ルンバ」。だが決して伝統音楽に留まらず、強く、しなやかに、したたかに、いつの時代も最先端の音楽として君臨している。それはまるで大きな木の深く太く張った根のように、キューバ国民の心の奥にあり、その上に個々の木や花を咲かせているようだ。

 「ルンバ」の本家本元であるロス・ムニェキートス・デ・マタンサスは、1952 年にキューバで世界初のルンバプロバンドとして結成され、現在も「ルンバ」「サンテリア」と称されるアフロキューバ音楽(キューバ民族音楽)の最高峰に君臨している。

 「ルンバ」は西アフリカから連れてこられた奴隷達が、ハバナより100キロほど離れたマタンサス州の港から発生しました。 奴隷たちは言葉を話すことを禁じられ、台所にあったスプーン、木箱を叩き、歌い、そして男女の駆け引きのダンスで自分たちのアイデンティティーを表現していた。
 その後奴隷たちの暴動を恐れた支配者たちは週に一度「カビルド」と呼ばれる互助組織でルンバのパーティーをすることを許し、その習慣は今でも「土曜日のルンバ」として残っており、毎週土曜日は各場所でルンバ大会が開かれ、人々の娯楽となっている。

 
 80年代末に、[コンゴ・ヤンブンバ]をニューヨーク・サルサの重鎮エディ・パルミエリが録音し、ロス・ムニェキートス・デ・マタンサスの世界的知名度は上がった。92年、96年、98年、99年、01年、11年と、国交断絶中のアメリカ合衆国に招かれ、それ以外にもカナダ、メキシコ、中米、ブラジル、スペイン、イタリア、ドイツ、プエルト・リコに公演し、その大迫力のステージでルンバ・ブームを作ってきた。

 90年代以降、多くのCDを録音しており、とりわけ2001年のコンピレーションアルバム『ラ・ルンバ・ソイ・ジョ』はラテン・グラミーの最優秀フォークロア賞を受賞し、2009年の『デ・パロ・パ・ルンバ』もノミネートされた。


  2000 年に世界的なキューバ・ブームを巻き起こした「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」でも知られる情熱的でリズムカルなキューバ音楽だが、その根底にも連綿とルンバのエッセンスが流れている。

「ルンバ」はまさにキューバ音楽の土台・「キューバ音楽の母」であるといえる。

 

 

NHK BS 国際報道でも5分に渡り特集が放映されました。 1.JPG 2.JPG 3.JPG 4.jpg
5.jpg 6.jpg コシノジュンコデザインの衣装を着るムニェキートス スクリーンショット 2017-02-06 16.16.24.png 201610250955_6.jpg

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